温泉が舞台の宮崎アニメでもありましたが「名前をとられると、魔物に支配されてしまう」「名前を知ると、魔物を支配できる」みたいなモチーフは、ファンタジーによくあります。
これは、昔からある「名前にはパワーがある」発想からきています。
たとえば、聖書の文化圏では「神(GOD)の名を唱えるべからず」とされており、神(GOD)の名の発音は秘密とされていました。実際の名は呼ばずに、アドナイ(主)とかロード(主)とか、名前以外の呼び方で呼んでいます。
聖書の神の名は、ヘブライ文字ではYHVHと書かれており、学術的には「エホバかな、いやいや、ヤーヴェじゃない、たぶん。」と言われてます。(「ヤーヴェ信仰」とか「ヤハウェ信仰」とか呼ばれます)
実際の名を呼ばない敬語文化は日本史の中にもあります。たとえば天皇をヒロヒト(昭和)とかアキヒト(平成)と名前で呼ばない敬語文化があり、名前は呼ばないで、陛下(へいか)や主上(おかみ)といった敬称を使います。
鎌倉幕府の将軍が鎌倉殿と呼ばれていたのも似たようなフィーリングです。時代劇で大名が「お館(やかた)さま」と呼ばれているのも同じです。
なぜ名を呼ばないことが敬語表現になっていったのかというと、「名を知る=相手を支配」といった発想があったからなのです。
余談)
名前に深いパワーがあるという発想は、神秘の世界だけでなく現実の世界でもあります。
命名という視点で考えると、i-phone がapple phone ( a-phone )だったらこれだけ売れてたかと言われたら、少し考えてしまいます。
i phoneのi はinspire (ひらめき)とか individual(個人)とかinternet(インターネット) とかのiから切り取られたらしいです。たしかにアップルの世界観から一文字切り取るなら「i」だろうって感じはします。
