先日、「鹿食免(かじきめん)」という諏訪大社のお守りを
資料的に入手してみました。(諏訪大社 上社)
これ、現代だと単に歴史のあるお守りとして頂くことができますが、
本来は「肉食OK」という趣旨のお守りです。
「一般人も肉たべないほうがよい」という価値観が強かった中世に
「肉を食べても、狩猟をしても大丈夫」という方向で出されたお守りです。
現代では「肉食タブー」なんてほぼ消えてますけど、
機会があったら入手してみると興味深いでしょう。
食べ物とアイデンティティやセルフイメージというのは
意外につながっている部分があります。
お酒が趣味の場合でちょっと考えてみましょう。
自己紹介で「酒好き」と言った後に、どの酒が好きというか
問題というのがあります。
・ワインを飲む
・ビールを飲む
・アブサンを飲む
・日本酒を飲む
・焼酎を飲む
・どぶろくを飲む
お酒もいろいろありますが、自分を「〇〇を飲む人」というかで
人から見られるイメージやセルフイメージは少し変わるからです。
日本酒が好き←無駄に酒豪そうに見られることがあります
ワインが趣味←無駄にセレブ風に見られることがあります
「何を飲む人か」でキャラクターが形成されてしまうということです。
逆に言うと「こう見られたい」がはっきりある場合は
「人前で飲むお酒」を変えるという手もあります。
「何が食べていいもので、何が食べないものか。」というのは
「ある種の種族意識」を育みます。
「我々は小麦の奴隷」と行ったのはサピエンス全史の人ですが
パンが主食だと「われわれは小麦族だ」という種族意識になります。
そしてキリスト教の儀礼ではパンと葡萄酒が「神の身体」として使われます。
「米こそが主食だ」と意識すると、「お米種族」という意識が生まれます。
「米は聖なる食べ物だ」という価値観を無意識に持っている日本人は少なくないと思います。
そして神社の祭礼では米からつくった酒が神々に捧げられます。
そういえば、現代の日本人は「犬を食べるなんてありえない」という習慣で生きている人が
多数派だと思いますが、中世は鹿や猪とならんで犬もフツーの食肉に入っていたようです。
(ルイス・フロイスの資料などによる)
また、「食べないもの」をベースに仲間意識みたいなものが生まれることもあります。
仲間じゃない人「〇〇を食べる」
仲間な人「●●を食べない」
例えば、牛を食べない人たちからしたら
「牛を食べる人」は野蛮人・異人
「牛を食べない人」は文明人・同胞
になるということです。
人間は「仲間と他人」という線引きをする本能をもつ生き物だと私は思っていますが
「食べるもの」「食べないもの」
というのは「仲間と他人」を区別する分かりやすい線引きになります。
「何を食べるのが私らしいのか」というのは、あらためて考えてみると
面白いテーマかもしれません。
これは8割くらいジョークですが
日本酒好きでいることを選べば、神社の神々に愛される
葡萄酒好きでいることを選べば、ギリシャローマの神々に愛される
ということもあるかもしれません。
このロジックでいくと、古代エジプトの神々が好きな場合はビールを嗜むべきかもしれません(笑)
PS
写真は御頭祭の行われる拝殿で、かつてはここに鹿の首が大量にお供えされていました。(最近は剥製をつかっているそうです)
