月光浴は、真っ暗にして月の光だけを浴びるというのが理想ですが、満月の時にやると気が付くことが1つあります。
月は照明としても優秀
それは、闇夜の月はとっても明るいということです。
真っ暗な夜の空を眺めていると、月が雲に隠れたたでてきたりすることがあります。
しばらく闇夜になったあとに、雲が晴れて急に月が出てくると大変まぶしいのです。
ここまで明るいと、夜道を歩いて旅する必要があったら「満月」はねらい目だなと思いました。
もしも電気がない生活になったら?
昔の人にとって「電気がないのは普通の事」でした。夜はひたすらに暗いものだったのです。
もちろん江戸時代でも大都市には吉原のように夜も明るくしているテーマパーク的な場所もありましたが、ふつうは暗いのは当たり前だったのでそこに不便さは感じていなかったようです。
むしろ、「ロウソクのちらつく照明」を想定して内装がでてきていたのではないかというところもあります。
秀吉の黄金の茶室のようなものも現代の感覚だとドハデですが、非常に限られた光しか使えない状況では「ちょうどよかったのでは?」とも思います。
信長秀吉家康の時代の大名屋敷の屏風絵などは「ゴールド多め」なものが目立ちます(狩野派)
これ、照明が自然光のみもしくはろうそくのような弱い明りのみだったと考えると「反射するゴールドの内装」というのはいい感じに「光を回してくれたのではないか?」と思えるところがあります。
当たり前が変われば、感性も変わる
電気の照明があるかないか、そういうこと1つとっても「月の光の存在感」はだいぶ変わってきます。
いつでも電気の光を使える生活で育った人と、月の光が生活の中で存在感が強かった時代に育った人とでは、「月」の存在意義もだいぶちがったのではないかと思います。
たまにのんびり月見などしてみると、昔の人の感性に近づくことができるかもしれません。
