平安時代の歌に
「仏は常にいませども、うつつならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給う」
というものがあります。
神仏というのは、常に、私たちと共にいらっしゃるが、現実世界の存在ではないので、姿は見えない。
というような意味です。
カミはカクレタ身であり、「いるけど、見えないのがふつう。(でもたまに見えるかも)」という風に、昔の人は考えていたようです。古事記でも「え?神様が現実世界に人間の姿でやってくるなんて予想外でした。すいません。」って言ってる天皇がいたりしますが、「基本的に見えない存在」というのが伝統的な神様観です。
この感覚って、私も正しいと思います。
(視覚優位の霊能者の人は別として)
映画やマンガと違って「神様は目に見えない。仏様は目に見えない」という理解の仕方をしておくと、「小さな兆し」が目に入りやすくなりますし「微妙な感覚」が発達しやすくなります。
マンガみたいに派手に大魔神が降臨することはない、神々は静かに降臨している
という感覚への共感度があがると、寺社仏閣やパワースポットなどへの旅行はとても有意義な時間になる可能性が上がると思います。
※補足
・古事記の天皇の話は下巻のヒトコトヌシに対する雄略天皇のエピソード
・今回はテキストの必要な部分が多い話になったので音声とテキストを両方のせています
