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ニホンノカタチ  法律と道徳 【KS098】

2022-04-26 Tue.

平家物語には「親に従おうと思えば、上司には従えず。上司に従おうとすれば、親に従えず」みたいな「(親につくす徳である)孝」と「(上司につくす徳である)忠」という2つの正義の対立で悩む人が出てきます。

現代の恋愛ドラマでも「仕事と恋愛とどっちをとるべきか?」という対立が扱われることがありますが、複数の大切なことの間で悩むというのは昔からある悩みです。

複数の正義がある時にどちらをとるべきか問題は、昔からみんなの意見が割れるテーマの1つと言えるでしょう。ことに「悪法、わるい法律に従うか、道徳的な良心に従うか」というのはよく話題になるところです。

この問題は歴史の中での「法律と道徳」「法家思想と儒教思想」の関係性を振り返ってみると何かのヒントがあるかもしれません。

1.法律による政治と道徳による政治はどっちが上位なのか?

日本にも多大な影響を与えた古代中国王朝は、始皇帝の秦帝国の次の王朝である漢王朝以降、儒教を国の教えとして採用しました。儒教の世界観では、法による統治よりも、徳による統治、道徳的な教化を優先するという思想が優勢となりました。また、皇帝が父で臣下は子、中華の指導者は兄で周辺の指導者は弟、みたいな家族関係のイメージを使うことも行われるようになりました。

儒教思想がメインになる流れがなぜ起きたかというと、政治が大きく変わる時には「1つ前の時代の正義を否定する」ということが一般的に起こるからです。

キングダムで有名な始皇帝の秦の国は法家思想といって「法による統治」を大事にしていました。この場合の法は、あくまで王朝側が支配するための技術で簡単にいえば「信賞必罰」刑罰と恩賞を君主が公正に運用することです。

公正というのは、王族でも罪を犯せば刑を受け、平民でも功績があれば出世する、といったことです。古代の中国大陸は身分制社会だったので「公平な賞と罰」という仕組みは非常に画期的なものでした。今っぽくいうなら、アルバイトからでも働き次第で社長になるし、社長でも何度も遅刻したら減給、みたいなイメージです。一代で0からなりあがることもあるし、どんな富豪名家に生まれても没落することもある、ということです。

この「法の下の公正さ」という思想は身分制社会だった時代には破壊的な力をもっていたようです。法家思想の力で始皇帝は中国大陸の統一を成し遂げることができたといっても言い過ぎではないでしょう。

ただ、始皇帝というカリスマの死後に秦を倒した漢王朝よりあとの中華帝国は「法」を捨てることはなかったのですが、「儒教」を国の中心に添えて「道徳的な教化」を「法による統治」よりも高い理念として掲げました。

古代中国大陸の法というのは「賞罰、とくに刑罰を厳格に運用する」ものでしたので、厳罰主義による統治よりは「皇帝を父として臣下を子とする」のような親族関係イメージで国をまとめる儒教思想のほうが理念としては適していたのかもしれません。

すごく大雑把にいえば「公正さ・信賞必罰」よりも「家族的・アットホーム」を看板にする王朝が中国大陸の歴史上では続いて、日本列島もその影響を受けたということです。

2.現実主義の法家思想、理想主義の儒教思想


「正義がなくなる時、王国は大きな強盗団以外の何であろうか?」

これは西ヨーロッパ史で有名なアウグスティヌスが「神の国」で発した有名な問いです。民衆から暴力を背景に強制的に何かを奪う力を持つ存在である点では、王国も強盗団も本質的には全く同じパワーをもった存在と考えることができます。

法による統治を重視する法家思想はどちらかというと、「法のもとの公正」というだけでなく、こういう現実主義的な世界認識に近い思想と言うことができるでしょう。一方で「皇帝を父に臣下を子に見立てる。自国を兄に、周辺国を弟に見立てる」といった儒教思想はもう少し理想主義的な世界認識をしていると言えるでしょう。

なお、「皇帝は父で、臣下は子」という儒教的世界観は、明治期以降の日本でもそれなりに影響力を保っていました。これは明治政府が「天皇を父、臣民を子」という世界観を打ち出したからです。明治政府の中心だった薩長の武士たちは儒教を学んで育っていたので、その世界観で近代国家を運営しようとしていたと見ることもできます。

ただ、1億人近い国民全員と1人の天皇という関係でバーチャルな親子関係を設定する。これは構造的にかなりの無理があったのではないかと思います。

貴族社会という限られた世界の中だけであれば「王家も貴族も広い親戚。王族が本家で、貴族が分家。本家と分家はお互いに支えあう。国全体が大きな1つの家である。」という儒教思想的な世界観はそこそこ現実感があったのではないかと思います。

ただ、この世界観を近代国家の全国民に拡張するのはやや無理があったのではないかと思います。実際は親戚関係にない人間をバーチャルな親とみなすという方法だからです。そのためか「皇帝が親で家臣が子」みたいな世界観の影響力は第二次大戦の終了以降はだんだん低くなっていきました。

儒教思想はもともと「君主・貴族・庶民・奴隷」といった身分社会を肯定する装置として使われてきていて、法家思想はもともと「(君主以外の)万民は法の下に平等」とする装置でした。その後、法家思想を儒教思想がしれっと取り込んだという流れが中国大陸の歴史の流れとしてあります。

近代以降の日本の社会で「なんでも裁判で法的に処理するのはよろしくない。道徳で回る社会のほうが理想的。」的な価値観が出てくることがあるのも、漢王朝以来の「法律は人間社会には必要だから法家思想は用いるけど、看板としては儒教思想でいく」という中華の王朝の慣習が、隣の日本列島にも大きく影響を与えたからと考えることも可能ではないかと思います。

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