「すずめの戸締り」を見てきましたので本編とあまりリンクしない感想を。
主人公のすずめちゃんが、椅子に封印されてしまったイケメンを人間に戻すために、(色んな人に助けられつつ)1人で奮闘する、というのが大きなストーリーの流れです。この映画。
主人公のすずめちゃん(女子)が「ヒーロー役・勇者役」で、助けられるイケメン君(男子)が「ヒロイン役・姫役」というキャラの分担になっています。
現代の作品はわりと多いのですが、ストーリーの中のキャラの役割として
勇者の役割:すずめちゃん (肉体は女子)
救出されるお姫様の役割:椅子に封じられたイケメン (肉体は男子)
なのです。
昔ながらの神話やゲームだと
勇者(ヒーロー):基本的には男性の肉体、魔物を倒してお姫様を救う。
姫(ヒロイン):救出される役割、基本的に女性の肉体。
というパターンが多いです。
古事記なら
スサノオ:勇者
クシナダヒメ:姫
です。
(オオクニヌシとスセリヒメは、勇者スセリヒメとオオクニヌシ姫っぽくもありますが)
現代の日本アニメで、
勇者:肉体性別は女性、だけど、悪を倒して誰かを助ける役回り
姫:肉体性別は男性、だけど、悪から救出される側の役回り
というのが増えた理由としては、現実社会で男女同権が浸透してきたことで
「男性:強さ担当 女性:弱さ担当」
という一昔前のイメージがあまり説得力をもたなくなってきたことも影響していると思います。
(「男性:外で労働して一家を養う、女性:子育てに専念」という昭和の会社員的なロールモデルもそろそろ少数派になりつつありますし)
さて、今回の話で大事なのは「肉体の性別」と「役やキャラとしての性別」は異なるという考え方です。
社会学用語だとSEXとGENDERといいますが、「肉体が性別どっちか?」と「キャラや役割が性別でいうとどっちか?」は意識的に分離して考えてみようということです。
ここで、やっとタロットの話になりますが
人物の札、例えば「皇帝」とか「女帝」というのは、必ずしも「肉体の性別が男性の人」「肉体の性別が女性の人」をあらわさないことが多いとイメージしたほうがよいということです。
人物札の性別は「役割としての性別」であって「肉体としての性別」ではないとイメージしたほうが、使いやすいことが多いと私は思っています。
例えば、大企業の社長秘書みたいな男性がいたとして、役割としての性別は「女性的」になることが多いと思います。秘書というのはサポートの仕事であるためです。
一方で、近衛連隊の隊長みたいな女性がいたとして、役割としての性別は「男性的」になることが多いと思います。軍のリーダーは「男性的」な役割を求められるからです。
この辺は、陰陽五行や四大エレメントもそうで
「「水」のエレメントの「水」は、H20にあらず」(トートの書をはじめ、あちこちで色んな人が言ってますよね)という話です。
物質としての性質と、四大エレメントとしての性質は、異なるということです。
なので、(役割として)姫な男性、(役割として)勇者な女性、というのが普通にいてよいし、そういう視点でタロットの人物札は見てあげると使いやすさが上がると思います。
例えば、アフターヌーンティーをセットするレストランのウェイターは、どちらかというと「high-priestes(神官)」的で女子的と言える、という具合です。
追記1
あ。なぜ「男性的:能動 女性的:受動」なのか、逆でもよいではないかというツッコミもあるかもしれません。これは論理的には別にどっちでも成り立ちます。0から言語を作るならそれもありです。
ただ、過去の歴史で「男性ー能動 女性ー受動」的な意味のイメージが蓄積されているので、日本語という歴史の古い言語を使う都合上、この定義を使っているだけになります。
実際には勇者的な役の女子(肉体が)もいれば、お姫様的な役の男子(肉体が)もいればである、というのが今回の話の趣旨となります。
追記2
「要石・地震」というのが今回の新海作品の神社ネタから拾われている部分でした。
鹿島神宮(千葉県)に、「要石」の実物の例がありますので、ご興味あれば何かのついでにどうぞ。
